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困難な状況に置かれた時ほど、自分の存在そのものや与えられたギフトを必要としてくれる存在は天からの贈り物のように感じます。
わたしたちは与えることで命の意味を思い出し、生きる力を取り戻すことができるからです。
与えるために必要なことはまず、自分が何を持っているのかを知ること。
それを持っている(できる)ということを認めること。
それを持っている(できる)ことを伝え、必要としている人を見つけること。
これが簡単にできる人は日頃「与える」という役割に慣れているため、受け取ること(助けを求めること)を難しく感じます。
受け取るために必要なことはまず、自分が何を持っていないのかを知ること。
それを持っていない(できない)ことを認めること。
それを持っていない(できない)ことを伝え、与えてくれる人を見つけること。
与えるという力も受け取るという力も、同じだけの大きな勇気を要し、同じだけの尊い喜びを生み出します。
何を与えることができるかわからないうちは、とにかく受け取るという役割を一生懸命にやればいい。それによって誰かが安心して与えることができるのだから。
何かを受け取る(助けを求める)ことが難しいのなら、とにかく与えるという役割を一生懸命にやってみる。それによって誰かが安心して受け取ることができるのだから。
大切な誰かの存在だけに意識を向けて、その人に今自分が何ができるのかを見つけ、ただそれを、やる。
与えるという役割も、受け取るという役割も、双方が互いのために一生懸命その役割を担う時、二人の境目がなくなり、どちらも「与え・与えられる」関係性が生まれます。
それが、「慈悲」「癒し」「愛」という言葉で現される関係性であり、ヨーガヒーリングの学びの時間の中で大切にお伝えしている全ての教えの軸になるものです。
自粛期間が始まって少しした頃、生徒さんから一通のお便りが届きました。
出逢ってからずっと、わたしとの関係性において「受け取る」という役割を一生懸命担ってきてくれた彼女がこの1年で「与える」という役割へと自分から意識を向け始めてくれたことはとてもうれしく心強い変化でした。
そのお便りでは彼女の「与える」の対象がわたしから学びの時間を共有しているみんなへと向けられていました。
このお便りをきっかけに、わたしはこの学びの空間の中で「与える」でも「受け取る」でもなく、「見護る」ことを選ぶ練習を始めました。
わたしはここにいるよ、どうしても困ったら必ず助けにいくよ、だからまずはできることをやってごらんと見護ること。
わたしに「与える」という行為を求められた時にも、すぐにその役割を担うことをせず、他に与えられる人がいるかをみる。
わたしが「与える」の行為をしないことで、その力を持つ他の誰かがその役割を担う。
わたしが「与える」の行為をしないことで、わたしとの関係性の中で「受け取る」を練習してきた生徒さんたちが、今度は仲間の力を借りるために自分をさらけ出す勇気を持てるようになる。
これは生徒さんお一人お一人の力を信じている証しであると同時に、わたし自身の今までの行いを信じる練習でもあるんだなぁと感じています。
そして先日、
また別の生徒さんが、かつて自分に「与えられたもの」を今必要としている目の前の仲間に力を尽くしてお渡ししている姿を見ました。
その時の彼女の選ぶ言葉の一言、彼女の在り方から、彼女がどれだけ大切に彼女の元へ「与えられたもの」を受け取り、彼女の中で育んできてくれたか、手に取るようにわかりました。
そして、彼女の教えに対する在り方を見、彼女からそれを受け取った存在もまた、同じようにその教えを大切に受け取り、自分の中で育み、きっといつか同じように勇気を振り絞りながら喜びとともに誰かにお渡しする日が来るのだろうと感じます。
「与える」とはまた少しだけエネルギーの異なるこの「お渡しする」という意識は、Bhaktiの教えに通じる美しい謙虚さから生まれるものです。
自分がお渡ししている時には気がつかなくても、みんなの行為を見、どんな種が育っているのかを見ることで今の自分の状態を知ることもあります。
特に学びの空間においては、それが度々起こります。
お渡ししているものは同じ。
でもそれぞれに、育ち花開くものは違う。
その美しさにいつも感動しながら、
その過程の中に存在している「わたし」という存在の力にもまた驚き、同時にそれを与えられていること・与えさせていただいていることに感謝が溢れます。
だからこそわたしにできることは、「わたし」という存在を通して神さまがその方に必要な水を注いでくださるとき、その水に濁りが生じないように「わたし」という空を清く保つことなのかもしれません。
Yoga Healing Japanを作ったとき浮かんだ
コミュニティ
という言葉。
ヨーガとヒーリング。
その2つの教えを通して、愛すること・与えることの喜びを共有するためのコミュニティ。
9ヶ月経ち、ようやく、わたし自身がその意味を理解し始めたように思います。
みんながいてくれたから、見えたもの。
みんなが教えてくれたもの。
わたしとあなたが
「わたしたち」
であり続けることができますように。
神さまが護ってくださるよう、祝福をくださるよう、
このギフトを与えてくださったことに感謝しながら、祈りを捧げる日々です。
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