ふたりの先生が見せてくださったヨーガという愛のカタチ
YOGAとは、人と人とが出逢い、そのつながりを育むこと。
そして、そのふたつの魂がひとつになること。
それを教えてくださったのが、わたしの先生であるメナカ・デシカチャー先生と、彼女の師であり伴侶だったTKVデシカチャー先生だった。
メナカ先生がわたしに教えを授けてくださる時、いつも、デシカチャー先生とメナカ先生はひとつだった。
メナカ先生の伝えてくださる言葉、マントラの音一つ一つの中にも、デシカチャー先生の命が宿っていた。
ふたりの在り方は、わたしの憧れだった。
こんな風に、わたしも生きてみたいと願った。
お互いの魂がお互いから一時も離れることがないこの二人の先生の関係こそが、 この伝統が伝えるYOGAの中でわたしが受け継ぎ伝えていくもの。
それが、わたしの夢になった。
ヨーガスートラ第一章第一節。
「atha yoga-anuśāsanam」
この節を何度、先生から学んだろうと思う。
先生が最初に伝えてくださった訳は
「今、準備ができた」
という、とてもシンプルな一文だった。
それをわたしは、
「わたしはあなたを愛する準備ができた。」
と受け取った。
わたしはあなたを愛する準備ができた。
あなたのことばに耳を傾け、
あなたに、わたしの今をすべて捧げる準備ができた。
そこに愛がなければ、その道をともに歩むことはできない。
そこに愛があるからこそ、与えられた教えをありのままに受け入れ、 奇跡を起こすことができる。
YOGAはひとりでは成しえない。
そこに愛する存在がいるから、YOGAが存在する。
わたしの先生が生きてきた空間は、学びの場だった。
そして、その学びの場には当たり前のように、家族の輪があった。
YOGAはそこにある日常と切り離して学ぶものではない。
そこにある日常を、その日常を生きる「わたし」を知り、愛するためのもの。
その日常には「家族」があって、わたしがいる。
家族こそが、わたしに与えられた最初の世界=ダルマ。
家族があってこそ、 広がっていく縁の中でその時々に与えられる役割を果たしていくことができる。
それがわたしの先生の示してくださった、YOGAの道。
5年前に綴った想いを読み返しながら、新しい学びの時間を迎える準備をしています。
ヨーガスートラを伝えることは、わたしの役割ではないと感じていたけれど、
ようやく、わたしも「準備ができた」と感じています。
愛するためのヨーガ哲学。
ヨーガスートラのクラス、と名前をつけなかったのは、「ヨーガスートラ」を学ぶクラスではなく、ヨーガという愛のカタチを練習するための時間でありたいと感じているからです。
二人の先生がずっとずっと、肉体を離れても、遠く離れていても、変わらず大きな愛とともにわたしを導いてくださるように
わたしも、導かれ出逢う魂を愛し、その言葉に耳を傾け、 わたしの今を捧げていられますように。
śrī gurubhyo namaḥ
2020.2.14&3.14
『yoga to LOVE〜愛するためのヨーガ哲学』
第1回クラス(全2回) テーマ
「ヨーガとは」(ヨーガスートラ1.1&1.2)
https://yogahealingjapan.wixsite.com/yogatolove
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