『学び』に大切な、たったひとつのもの
大切な学びそれぞれに、種まき、芽吹き、実りを迎えたこの1ヶ月。
同じエネルギーを保ち、様々な角度から一つの教えを伝える日々の中、いつも以上に受け取ってくださる生徒さん一人一人の状態を見極めることと、そして自分の中を曇りなく保つことを意識して過ごしていました。
クラスで言葉を発するたび、「わたし」という存在を通して伝えられる言葉の中に圧倒的な光を放つ先生の導きと神さまの祈りを見、こんなに美しい言葉を伝える役割をいただけてわたしはなんて幸せなんだろうと感動します。
言葉は、その言葉の中に込められた神さまの祈りは、決して変わらない。
でも、受け取るその人の求めるもの、見ようとするものによって、あたかも別のもののように理解され、扱われることがあります。
それが引き起こされるかどうかは学びの長さや経験ではなく、たった一つの大切なものがそこにあるかどうか。
言い換えると、その人がどのように受け取ったかを見れば、その"大切なもの"がそこにあるかどうかが示されます。
わたしはその言葉を届ける役割を担ったに過ぎない。
けれど、どうかいつかその人の準備が整った時に、
神さまがその光をその目に見せてくださるようにと、
そしてその人もまたこの幸せな役割を担う日がきますように、
と祈りを捧げます。
ここからの数週間は、次に迎えるマントラの学びまでの準備期間に入ります。
すべての学びは導きであり、繋がっています。 だからこそ、学びのたびに受け取ったものを一つ一つ、丁寧に、丁寧に、結んでいくこと。
来期5月から新しく学ぶ『mantrapuṣpam 』と『Durgāsūktam 』は、とてもエネルギーの強いマントラです。
「わたし」の準備が整っているかどうかなど関係なく、大きな波を生み出すこの2つのマントラの音を、まっすぐ恐れ曇りなくみなさんに届けられますように。
わたしも、「わたし」という楽器をしっかり調律をして、また5月にお逢いできますように。
たくさんたくさんの感謝と祝福を。
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